2014/09/04

五葉会の変遷


こんにちは

ブログ担当トテトテです。

実は、五葉会にはパソコンが1台あります。
そして、その中には「五葉会フォルダ」なるものがあります。
そこには、これまでのサークル活動で使用した広告のデザインや提出書類など、色々な書類やデータが放り込まれています。
あまりにもデータが膨大でなかなか整理が追いつかず(面倒!)ある種遺跡と化しているスペースです。

今回は、その遺跡の中から、五葉会の歴史に関するいくつかの文章を発掘!したので、それらの情報をもとに、簡単に五葉会の歴史をまとめてココにご紹介します。




◆1928年
道を求めた学生が立田英山先生(当時中央大学予科で自然科学の講義を担当していた)の下に 
集まった。これが五葉会の始まり。
五葉会というのは達磨大師の「一華五葉開き、結果自然に成る」という偈(げ)から思いついて、選ばれ  たという。


◆学生運動時
結構隆盛していたらしい。
学生運動に参加するものもいたらしいが、その中でも坐禅はしていたとのこと。


◆1978年
中央大学が多摩に移転。これに伴って五葉会も移転。
(現在の会室は、移転して以来使い続けられているとか)


◆2000年前後
多摩に移転してから五葉会そのものが右肩下がりをしていた模様。


◆2007年ごろ
会員数は2人程度。
会員によるサークル費紛失事件が起こる。この事件に関して学友会と紛失者との間で話し合い、会室  の閉鎖、そして五葉会の廃止という制裁を受ける。


◆2007年から2010年ごろ
五葉会を残したいというOBにより五葉会存続運動をしていたらしい。大学側に存続直訴したり、ポスタ  ーを貼ったり、講演会開いたりなど。ただ、サークル活動は学生が行わなければならないということ  
で、大学には相手にされなかったよう。


2010
入部希望者が三人集まり、サークル中央委員会相手に廃止解除の話し合いを行う。
学生は7月の拓殖大学教授呉善花先生による講演会(OBが企画・開催)、9月から五葉塾の水曜静坐 会と茶道お稽古に参加し、中央大学125周年記念の際に虚白庵にて茶会の半東をした。


2011
五葉会の廃止が解除されて、会活動を始める。予算は事件の影響により、二年間は様子をみるためにない。なので、OBに依頼して125周年記念事業寄付金というところに寄付金をいただく。
前期は平日昼休みに静坐会をしていた。まぁ、人は来なかった。会員も集まらなかった。7月にまた呉善花教授を招いて講演会を行う。8月学生一人で北海道の石狩で行われる参禅会へ行く。(これが後の問題に。)後期は週三日のペースで静坐会を行う。新規さんも会員も、まぁ、来ない。11月に岐阜へ講演会と茶会(手伝い)に一人で行く。(これも問題。)年末に年賀状書きに追われる。2月に仙巌園へ参禅会とお茶会(手伝い)に行った。3月学友会から呼び出しがかかる。どうも、学生一人で遠出をしたのがいけなかった。大学から一人で行った分のお金を現金で返還要求をされる。ここはOBが立て替えてくださった。

2012
ポスターがマシになったのと、ペデ下で坐禅したのが良かったようで、新規さんが何名か集まった。静坐会も週一回にしたが、人はちゃんと集まって静坐したから、去年よりはだいぶマシになった。前期は講演会を行わなかった。


いや~、やはり歴史があるサークルだけあってなかなかおもしろい波瀾万丈な変遷をたどっていますね。
特に、2007年ごろに何が合ったのかをもっと知りたいと思ってみたり…。
まだまだ、PCの五葉会フォルダの遺跡にはいろいろな情報が眠っていそうです!!
また、発掘したらご紹介します。