2013/03/05

恵林寺・向嶽寺坐禅会

早稲田の済蔭団さんに、
「五葉会さんの活動は熱心だ」というようなお世辞をもらってしまいましたので、
済蔭団さんに倣って、しっかり活動報告しておきます。
一つ心配なのは、独参と違って、法話や提唱は外部に漏らしても構わないのですよね。ね?

①恵林寺
2月16日朝6時から。合宿の一環で行きました(合宿は前記事参照)。
30分弱を三炷香坐った(と思う)。
後の閑談を盗み聞いていたら、このときの直日は別のお寺の方だとか。

8時から副住職様の法話が始まり、運よく『興禅大燈国師遺戒』の最終日で、
全体を最初から纏めなおしてくださいました。
「専一に己事究明」することが大事だと。
禅の師匠とは何か、という話も強調されていたと思います。
これは、後から聞くところによると、
副住職様はそろそろご自身の後継者探しをせねばならないらしく、
その思いを伝えていらしたのかと。

私は、この師にまつわる話で甚く感動いたしまして、
柱や竹の音等が師になるのであれば、
自分が踏みつけている座布団や畳、ふと目に入った丸時計もお師匠様で、
それはつまり仏様なのだな、と拡大解釈していきました。
私は『坐禅和讃』の「衆生本来仏なり」がどうもわからず、
「衆生」とは、人間だけのことを言っているのか、
他の生物も仏だとしたら、禅修行をしないでどう仏になるのか、
などと悶々としていました。
それがこの法話を拝聴し、どう仏になるのかはわかりませんが、
やっぱり人間・生物・無生物関係なく、やっぱり仏を感じられるのは、
自身の心によるのだなと、それが仏心なのかな、と至った次第です。

副住職様は、坐禅会後も談話をされていたので、
それに近づいて行ったら、10時位まで親しくお話していただきました。
恵林寺は、有名な信長公による焼き打ちの他、明治期も大火事があったそうで、
当時は廃仏毀釈で寺に金がなく、立て替える材を買えず、
あちこちの寺・宗派から寄せ集め、大工も身延の日蓮宗系だったということを、
寺内部を指さしながらお話しくださったことが印象に残っています。

②向嶽寺
2月17日、合宿の一環として。
中央大学講師小島岱山先生は、当寺の僧堂師家です。
朝8時から45分一炷香、参禅(勿論一部の者のみ)に一時間位坐り、法話一時間。
確か『坐禅和讃』だったと思うのですが、内容は全く覚えておりません。
坐禅や法話に集中できていなかった記憶があります。
ただ、何とも不心得なことに、以下のことは鮮明です。
茶礼中の談話で、茶礼用の菓子を作られたお方の話がでまして、
そのお方は、恵林寺の副住職様にもお教えしている茶道家だそうで、
少しだけお話させていただきました。
そのお方に、次の廣園寺をご紹介していただきました(次回記事にて)。

文:脚長